輝く女性起業家~ロールモデルのご紹介~

今回ご紹介するロールモデル

社会福祉法人 萌樹会 理事長 佐藤さん
和光市で保育園「里仁育舎」を運営する社会福祉法人萌樹会。その理事長は1990年代から事業所内保育所の設置を進めてきた佐藤敦子さんです。
 佐藤さんは当法人を立ち上げる前に3社起業し、社長をされていました。
 また、ファミリーハウス運動といった難病の子どもたちへの支援や、カンボジアで小学校建設支援活動などのボランティアもされていて、2003年にはその貢献に対してカンボジア王国の首相から勲章も受けています。
 起業経験豊富でボランティアや福祉支援事業も積極的にされている佐藤さんにお話しを伺いました。

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前編
〜起業へのみちのり〜

 

起業を考えるに至った経緯について。

息子を亡くして、しばらくして離婚。アルバイト生活で貧困状態に。

 起業したきっかけは一言でいうと、息子を亡くしたことです。私は24歳で結婚、25歳で出産し大手メーカーを退職しました。それまでは幸せな専業主婦を続けるものと思っていました。ところが、息子を一歳の誕生日の直前に小児がんで亡くしたことで人生が変わりました。ただひたすら悲嘆にくれる中、いろいろあって離婚しました。
 離婚した際、父からは「離婚するのだったら自分で生活をするように。実家に戻って来てはいけない。」と言われました。そのため、とにかく自分で働いて稼がなければならない状況になりました。
 再就職の難しさを目の当たりにしました。50数社受けましたが、専門的な資格もなかった私を正社員として雇ってくれるところはありませんでした。
 最終的には歯医者の裏方で器具を消毒したりするアルバイトしか就職口はなく、バブル真っ盛りのとき、月8〜9万円くらいの収入で、風呂なし、トイレ共同のアパートに住んでいました。今までの人生では想像もつかないくらい貧困の状態で、何とか抜け出さなければという気持ちでした。
 辛かったのは、学生時代から続けていたボランティアを交通費が捻出できないために諦めざるをえなかったことです。ボランティアをするにもお金が必要なのです。もどかしい気持ちでいっぱいでした。

 

受付業務を任され、その仕事ぶりが評価されて商社へ

 アルバイトをしていた歯医者で受付の人が辞めたので、受付業務を任されるようになりました。大手メーカーの勤務経験を活かしてカルテの整理整頓などを行い仕事の効率化を図りました。その仕事振りをある方に目をかけてもらい、その方の息子さんが社長となる商社の立ち上げに関わることになりました。
 商社の立ち上げはとても面白かったです。会社を起こすことを一から学ぶことができ、自分で会社を起こすことを考えるようになりました。その商社は社長と専務と私だけの会社だったため、私は秘書兼お茶出し兼雑用で何でもこなしました。
 ある日、職場で日経新聞をチェックしていると、福祉事業の起業提案を募集する記事を見つけました。福祉事業がやりたかった私は、「社長になりたい!これはチャンスだ」と思い、採用試験を受けることにしました。
 応募者は約300人。会社の代表と応募者20人位の前で一人ずつ事業企画の提案をしていきました。でも、ここで自分のやりたいことを話したら、代表や他の応募者みんなに、自分のネタをとられてしまうと思い、「採用が決まりましたらお話しします」と答えました。
 今思い返すと、何とも生意気な発言でしたが、なんと採用になりました。

 

起業の基本は営業

 ただ、事業提案で採用されて入社したにも関わらず、支店の「営業」に配属されました。正直、「騙された」という気持ちでした。
 とりあえず営業に行くものの、全然契約をとれませんでした。
 当時の支店長に営業をやりたいわけではない、話が違うと抗議すると、「あなただけではない。みんな、いつか大きなチャンスが巡ってくるかもしれないと思っている人たちなんだ。なぜ営業をやらせるかというと営業をやらないと新しい事業は立ち上げられないからなんだ。佐藤さんは今まで色々な経験はあるのかもしれないけれど、営業経験はないんだよね?」と言われて、ふっと我に返りました。
 それからは真面目に飛び込み営業をするようになりました。また起業が認められるためには幹部の目に留まらなければなりません。当時1000人近くいた社員の中から幹部の目に留まるために、土日でも勉強会に参加したり仕事をしたりして代表や幹部たちに会う機会をつくるようにしました。
 努力が功を奏し、代表に話を聞いていただくチャンスがありました。そこで「福祉の事業を立ち上げたいです。」と話すと、代表から「うちは株式会社だから非営利的な事業はできない。自分のやりたいことを営利化できる事業を何か見つけなさい」と言われました。

 

起業した会社の事業内容とその事業を始めた理由を教えてください。

事業所内保育所の運営会社

 最初の起業はチャイルドケアビジネスです。
 営業で歩き回って話を聞いていくうちに、女性は出産後、働き続けるのが大変だということがわかってきました。認可保育所に入れないのであれば、企業が福利厚生の一環として保育所を作るべきではないかと考えました。起業にあたり、女性の活躍が進んでいるアメリカの市場や企業等を調査し、アメリカの事業所内保育所運営の最大手の企業と提携できることになりました。こうして事業所内保育所を運営する会社を立ち上げました。
 しかし、会社は仕事をするための部屋を提供してくれただけで、社内の事業化支援はありませんでした。事業計画も自分で本を見ながら作成しました。経理など全て自分でやらなければならず、とても苦労しました。
 設立3年で黒字化する約束だったのに赤字続きだったため、会社をクローズするよう説得されたり、周りからはいろいろと言われました。設立5年目に駅型保育所を立ち上げると、少額ではありますがようやく黒字を計上することができました。

 

介護人材育成・派遣事業の会社と在宅介護事業の会社

 次に介護ビジネスの会社を立ち上げました。きっかけは母の介護経験でした。
 事業所内保育所運営会社が黒字化してホッとしたのも束の間、母が腰を痛めて入院してしまいました。完全看護の病院でしたが、母の着替えを届けたり世話が必要で、職場と病院を1日に何往復もしなければならず、社長業との二足の草鞋で大変な思いをしました。
 また、母の退院にあたり、病院からの話は「退院後車いす生活になるので、自宅に手すりをつけましたか」「介護用ベッドは買いましたか」など、ハード面のことばかり。私は母の退院後も仕事を続けることができるか不安になりました。
 こうしたことを知り合いに相談すると、三好春樹さんの「生活リハビリ」の講座を勧められました。「生活リハビリ」とは、介護される側の視点に立ち自立した生活を送ることを目的としたリハビリです。
 例えば、後ろに足が引けない簡易トイレは普通の人でも立ち上がりにくいのですが、足が引けるトイレだと重心が前にいくので、体が不自由な人でも立ち上がりやすいなど、必要な手順を踏めば、介助なしに自力でできるものもあるのです。実践すると母がみるみるうちに元気になっていきました。
 母は車いすで退院しましたが、「半年後に温泉旅館へ行く」という目標を立てリハビリをがんばり、温泉旅行までに杖をついて歩けるようになりました。もう80歳過ぎですが、今も車いすは利用していません。
 介護の仕組みを変えると仕事を続けられるということがわかりました。
 加えて、育児には終わりがありますが、介護にはなかなか終わりが見えません。女性が長く働くためには育児支援だけでなく、介護支援も必要だと気付きました。
 そこで、社内で、介護ビジネスの必要性を事業提案し、生活リハビリを実践できるホームヘルパー養成講座と介護職の人材派遣事業を行う会社を立ち上げました。自治体や国から養成講座を請負、年間何万人も育成していました。
 また、在宅介護を取り扱う会社も2000年に立ち上げ、その後、2003年にグループで上場するにあたって事業再編しました。
 会社を上場する直前は3時間睡眠の日々が続き、体がボロボロになっていました。これじゃいけないと思い、仕事や食生活を見直すことにしました。
 元々48歳になるときに仕事は部下に譲る考えを持っていたのですが、予定より一年早く手放すことにしました。

 

社会福祉法人萌樹会の立ち上げの経緯について教えてください。

 会社を手放した後は療養しつつも生活する費用を稼がなければならないので、㈱モエインターナショナルというコンサル会社を作り,週に3日大妻女子大学での講師や、企業や社会福祉法人に対するコンサルタントなどを行っていました。
 しかし、東日本大震災が起きた際、こういったときこそ福祉事業が必要になると思い、社会福祉法人を作ろうと決意しました。最初は大きな災害があると孤児が出るから、乳児院を作ろうかとも考えたのですが、私は保育園の経験があるので、まずは保育事業をやろうと考えました。
 社会福祉法人を設立するためには、まず保育園を作らなければなりません。そのため、いくつかの市に問い合わせをしたところ、和光市から土地を確保すればOKと言われました。
 和光市に知り合いもいなかったので、和光市内で土地を借りるために、地図をみて勘で電話し、毎日毎日土地を所有している農家を訪ね歩きました。水をかけられたこともありましたし土下座もしました。
 土地勘もなく社会福祉法人の立ち上げは慣れない中、早くて2年かかるといわれる社会福祉法人の設立を何とか半年で行い、認可保育園里仁育舎を2013年から開園しました。

 

ボランティア活動について教えてください。

ファミリーハウス運動とカンボジアへの小学校建設寄付
病気の子どもたちのための家族の宿泊施設をつくる運動

 息子が入院しているときに、同じ病院に静岡の漁師のお子さんが入院していました。その方は子どもの治療費と付き添うためにお金がかかってしまい、自分の船を売って、東京に滞在していたのです。
 当時アメリカでは既にマクドナルドハウスという、病気の子どもたちやその家族のための宿泊施設がありました。息子が亡くなったとき、日本でも同じような宿泊施設を作りたいと思いましたが、お金も時間も無くてすぐには動けませんでした。

 日本版マクドナルドハウス運動である「ファミリーハウス運動」は当時4〜5人で立ち上げ、大手生命保険会社や自動車会社にも飛び込み営業して、立ち上げ資金4000万円を集めました。このファミリーハウス運動の立ち上げには、今まで経験した「営業」が非常に役に立ちました。ファミリーハウス運動は、今は保険会社のCMで有名になってきました。

 

カンボジアで小学校を作ろう

 私は息子を亡くしてから、月に2万円ずつ、10年間貯金していました。
 そのお金で、途上国の子どもたちのために小学校を寄付することにしました。途上国をいろいろ回り、NGOが投資していないカンボジアのプノンペン郊外に作ることにしました。1996年でしたがカンボジアは内戦状態の時代。飛行機が飛ばずに日本に帰れなかったときもあります。アンコールワットも地雷だらけでした。
 竣工式は息子の十三回忌の日。息子の亡くなった日に、カンボジアの子どもたちにステキなプレゼントをすることができました。
 その後も30校近くの小学校を作りました。
 実は、自分自身のお金で作ったのは2校で、28校は賛同していただいた他の方たちに賛同してもらい、寄付をしてもらいました。小学校を立てるために寄付を1億くらい集めたんです。派遣の営業ができなかった私が。
 継続したカンボジアへの支援活動が認められ、2003年にカンボジアの首相に勲章をいただきました。

 

「子どもたちのために」「途上国の支援のために」が、企業活動の目的だった

 私はこういったボランティア活動をするために仕事しています。

 子どものためのボランティアや途上国支援をしたい、だから私はビジネスで頑張れるのです。私の企業活動の目的になっていました。
 たぶん、自分のためにやっていたら、辛いことを乗り越えられず負けていたと思います。

 

 

 

 

会社紹介

社会福祉法人 萌樹会

所在地
〒351-0111
埼玉県和光市下新倉2-34-36
社員数
23名
業種
福祉事業
事業内容
認可保育所の運営
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